年間第18主日

目次

1. 嵐の海と「見えない主」(22–27節)

イエスは弟子たちを舟に乗り込ませて先に行かせ、ご自分は一人山に登って祈っておられます。夜が更ける中、舟は逆風に煽られて波に揉まれていました。

  • 舟: 混沌とした世界の中を進む「教会共同体」の象徴。
  • 山で祈るイエス: 目には見えないものの、父なる神の右で執り成しておられる「復活の主」の姿。
  • 海(湖): 旧約聖書(詩編やヨブ記)において、人間の力を超えた混沌や悪の力を表す。

夜明け前、イエスは湖の上を歩いて弟子たちに近づきます。荒れ狂う水の上を踏み鎮めて歩むお姿は、イエスが神の権能を有しておられることを示しています。

恐れる弟子たちに対し、イエスはこう声をかけられます。

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(27節)

ここで「わたしだ」と訳されているギリシア語は ἐγώ εἰμι(エゴー・エイミ) です。これは旧約聖書で神がご自身を明かされた際の御名「わたしはある(出エジプト3:14)」と響き合う言葉であり、「神の臨在そのもの」が共におられることを表しています。

2. ペトロの歩みと視線の転換(28–31節)

マタイ福音書にのみ登場するペトロのエピソードは、主の招きに応えて歩むキリスト者の姿を象徴的に描いています。

ペトロは自分の思いつきや冒険心ではなく、「来なさい」という主の言葉(命令)を土台にして舟を出ました。しかし、歩み出した途端に強い風を見て恐ろしくなり、沈み始めます。

段階ペトロの状態・行動意味
1. 踏み出し御言葉に応えて水の上を歩く自分の力ではなく、主の招きに対する「応答」としての信仰
2. 動揺イエスから「強い風(現実)」へ視線を移す困難そのものではなく、視線の転換によって恐れが生まれる
3. 叫びと救い沈みかけた瞬間に「主よ、助けてください」と叫ぶ完全に行き詰まる前に出される素直な助けの求め
4. 即時的な介入イエスが「すぐに」手を伸ばしてつかまえる神の救いの即時性(εὐθέως)と確実性

【ポイント】

ペトロが沈んだ原因は「舟を降りたこと(挑戦したこと)」ではありません。イエスを見つめていた目が、足元をすくう現実の風と波に向けられたことにありました。

3. 信仰における「揺らぎ」と告白(31–33節)

救い上げた後、イエスはペトロに「なぜ疑ったのか」と問われます。

ここで使われている「疑う(διστάζω:ディスタゾー)」というギリシア語は、新約聖書ではマタイ福音書にしか出てこない珍しい表現です。これは「完全な不信仰」を意味するのではなく、「二つの間で心が揺れ動く状態」を意味します。

  • 信仰の真実: マタイにとって信仰とは、揺らぎを一切持たない完璧な状態ではありません。「揺らぎ(疑い)」を抱えつつも、その都度叫び、主の手をつかみ直していく「動的なプロセス」こそが信仰の歩みです。

二人が舟に乗り込むと風は静まり、舟にいた弟子たちは「本当に、あなたは神の子です」と伏し拝んで告白しました。これは、嵐を共に越えた教会が捧げる「最初の礼拝告白」です。

全体のまとめ

マタイ14:22–33全体を通して伝えられているメッセージは明確です。

  1. 見えない主の臨在: 主は天で祈りつつ、嵐のただ中にある教会に「わたしだ(エゴー・エイミ)」と近づいてくださる。
  2. 応答としての歩みと視線: 信仰の歩みとは主の招きに応えること。困難の中で視線を風ではなく主に戻すことが求められる。
  3. 即時的な救いと揺らぎの中の告白: 沈みかける私たちの叫びに主は「すぐに」手を伸ばされる。揺らぎを経ながら、共に嵐を越えて神の子を告白する。
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この記事を書いた人

カトリック教会司祭。
愛媛県松山市出身

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