仕事のメールで学ぶ聖書の読み方 第11回:釈義(exegesis) 

目次

第11回:釈義(exegesis)

――「私はこう思う」の前に、「何が書いてあるか」を確認する

1. 【メールの現場】:有能な人は「事実」と「意見」を混ぜない

仕事ができる人のメールや報告書は、驚くほど「事実」と「主観」が整理されています。 逆に、トラブルを大きくする人は、この二つを混ぜこぜにしてしまいます。

「A社から返信がありません」というのが事実。 「A社はやる気がないようです」というのは、あなたの意見(推測)です。

事実を確認せずに意見だけで動くと、プロジェクトは迷走します。まずは「何が起きたのか(テクスト)」を徹底的に洗うこと。相手が送ってきた一字一句を「証拠」として扱うこと。この、泥臭いまでの事実確認こそが、信頼されるビジネスマンの基盤です。

2. 【釈義のメス】:テクストを「客観的な証拠」として扱う

聖書を読み解く「釈義(exegesis)」とは、まさにこの「事実確認」の作業に他なりません。

多くの人は、聖書を開くとすぐに「これは私に何を語っているか」という「主観」に飛びつきたがります。でも、釈義はその衝動をぐっと抑えて、まずはテクストを「客観的な証拠書類」として冷徹に眺めることを求めます。

  • 語彙の確認: そもそも、この単語には当時どんな意味があったのか?
  • 構文の確認: 誰が主語で、誰が目的語なのか?
  • 構造の確認: なぜこのエピソードの次に、この話が来ているのか?

「私はこう感じた」という熱い想いを一旦冷凍庫に入れて、まずは「テクストに何が書いてあるか(そして何が書いていないか)」を、1ミリの狂いもなく記述していく。この「自分を消す」作業こそが、釈義の真髄です。

3. 【聖書のケーススタディ】:サマリア人の「善意」を分析する

有名な「善いサマリア人」の話(ルカ10章)を例に、釈義のステップを試してみましょう。

  • 主観的な読み方: 「困っている人を助けるのは良いことだ。私もサマリア人のように、誰にでも優しくしよう!」
    これはこれで立派な感想ですが、釈義としてはまだ入り口です。
  • 釈義的な読み方(事実の整理): テクストをよく見ると、この話は「隣人とは誰か」という法律家の問いに対する答えとして語られています。 サマリア人が助けたのは、ただの「困っている人」ではありません。当時のユダヤ人からすれば、宗教的・血縁的に「絶対に相容れない敵」です。 さらに、サマリア人が払った宿代の「2デナリ」は、当時の労働者の2日分の賃金です。
    ここで浮かび上がる事実は、「サマリア人が親切だった」というぼんやりした感想ではなく、「救いの手は、あなたが最も軽蔑している相手から差し出されることがある」という、当時の価値観を根底からひっくり返すような衝撃的なメッセージです。 自分の「道徳観」という色眼鏡を外して、テクストの「細部(事実)」を詰め寄っていくことで、言葉はより鋭く、深く立ち上がってきます。

4. 【鏡としての問い】:相手の「言葉」を、自分の「感想」で塗りつぶしていませんか?

さて、私たちは聖書(あるいは他人のメール)を、どれほど真剣に「事実」として読んでいるでしょうか。

「あ、この聖句、知ってる。要するに『愛が大事』ってことでしょ?」

そんなふうに、相手の言葉を自分の知っている「テンプレート」に当てはめて、分かったつもりになっていないでしょうか。 それは相手を尊重しているのではなく、自分の頭の中にある「辞書」を相手に押し付けているだけです。

釈義とは、自分の「解釈」という名の暴力から、テクストを守る作業です。 自分の意見を語る前に、まずは相手の言葉を、相手が語った通りの形として保存すること。 「私はこう思う」を横に置いて、「あなたはこう言った」という事実の前に沈黙すること。

地味で、忍耐のいる作業です。でも、この「事実の積み上げ」を疎かにする人は、一生、自分の想像力の枠から外に出ることはできません。神様の言葉があなたの人生に「異物」として飛び込んでくるのを許すために、まずは「書いてあること」を徹底的に読み取ってみませんか?

今日の振り返り: あなたが今日読んだその一節。 「私が感じたこと」を全部ノートから消した後に、そこには「どんな事実」が残っていますか? 主語、述語、そして選ばれている単語の一つひとつを、まるで「契約書」を確認するように、丁寧に指でなぞってみてください。

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この記事を書いた人

カトリック教会司祭。
愛媛県松山市出身

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