仕事のメールで学ぶ聖書の読み方 第3回:「例の件」

第3回:「例の件」

――「前後関係」を無視して、神様のメールを読んでいませんか?(文脈の理解)

1. 【メールの現場】:スレッドを遡らないと詰んでしまう

ビジネスメールで最も困惑するものの一つに、いきなり届くこんな一文があります。

「例の件、どうなりましたでしょうか?」

これを受け取ったとき、私たちは即座に「スレッド(過去のやり取り)」を遡りますよね。 数日前のやり取り、プロジェクトの当初の目的、さらにはその相手と以前どんな約束をしたか。それらの「前後関係」を確認して初めて、「ああ、あの件か!」と理解が追いつきます。

もし、この「例の件」という一文だけをスレッドから切り離して読んだら、どうなるでしょうか。 何の件だか分からないし、最悪の場合、「なんか催促されてる?」「嫌味を言われてる?」と、またしても変なドラマを脳内で上映し始めてしまいます。メールというのは、一通単独で存在しているのではなく、大きな「流れ」の一部なのです。

2. 【釈義のメス】:コンテクストは「言葉の命」である

聖書を読む際、私たちが最も犯しやすいミスの一つが、この「一節切り取り(プルーフ・テキスティング)」です。 前後を完全に無視して、自分にとって都合の良い一行だけをスレッドから抜き出し、「神様がこう言っている!」と解釈してしまう。これはメールでいえば、長い議論の途中にある一言だけをキャプチャして、「この人、こんなひどいこと言ってるんですよ」と周りに言いふらすようなものです。

聖書の言葉を正しく理解するためには、必ず「コンテクスト(文脈)」を確認しなければなりません。

  • 直前の文脈: その直前に、誰が誰に対して何を話していたのか。
  • 書簡の文脈: その本(手紙)が、どんな目的で書かれたのか。

これらを無視して読むと、言葉は本来の命を失い、私たちの「願望」を叶えるための便利なキャッチコピーに成り下がってしまいます。

3. 【聖書のケーススタディ】:魔法の呪文に変えられた「勝利宣言」

では、文脈を無視することで、最も誤解されている一節を見てみましょう。 スポーツ選手の座右の銘や、自己啓発的な文脈でよく引用されるフィリピの信徒への手紙の一節です。

「わたしを強めてくださる方によって、わたしは、どんなことでもできるのです。」(フィリピの信徒への手紙4章13節)

  • スレッドを無視した読み方: 「神様がパワーをくれるから、私はビジネスで大成功できるし、ライバルにも勝てる。神を信じれば不可能なんてないんだ!」
    こう読むと、まるで「どんな願いも叶う魔法の呪文」のように聞こえます。でも、このメールのスレッドを少し遡ってみると、全く違う景色が見えてきます。
  • スレッドを遡った本来の意味: この言葉の直前で、著者のパウロはこう語っています。「わたしは、貧しく暮らす術も、豊かに暮らす術も知っています。……飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得たのです」
    つまり、ここでの「どんなことでもできる」とは、成功を勝ち取ることではなく、*どんなに惨めな状況や苦しい境遇にあっても、神様とのつながりがあれば、その場に踏みとどまって生きることができる」という意味なんです。 スレッド(文脈)を読めば、これが「無敵の勝利宣言」ではなく、「どん底でも折れない信頼」の言葉であることが分かります。

4. 【鏡としての問い】:自分のスレッドに「無断転送」していませんか?

ビジネスメールでやってはいけないことの一つに、あるプロジェクトのスレッドに、全く関係のない別の案件の話を混ぜてしまう「トピックの混同」があります。これをやると、情報の整理がつかなくなり、深刻なミスに繋がります。

聖書を読むとき、私たちはこれと同じことをやってしまいがちです。 本来、パウロが「苦難の中で耐え忍ぶこと」について語っているスレッド(文脈)から、その言葉を勝手に切り取って、自分の「ビジネスの成功」という全く別のスレッドに「無断転送」して貼り付けていないでしょうか。

「『何でもできる』って書いてあるんだから、この商談もいけるはずだ!」

これは、メールの送信者が想定していた文脈とは全く別の意味を、読み手が勝手に捏造している状態です。つまり、相手の言葉を読んでいるのではなく、自分の頭の中にある別のメールを読んでいるだけなのです。

文脈を無視した読み方は、どんなに心地よいメッセージであっても、それはもはや「神様の言葉」ではありません。単にあなたの願望を、聖書の言葉という「もっともらしい包装紙」で包んだだけの、偽のメッセージです。 「例の件」が何を指しているのか、横着せずにスレッドを遡ること。この地道な作業こそが、相手への敬意であり、正しいコミュニケーションの第一歩なのです。今日の振り返り: あなたがお守りのように大事にしているその一節。 前後の数行を読み直したとき、その言葉は本当に「あなたの思っていたこと」について語っていますか? 自分の都合の良い文脈に「無断転送」していないか、チェックしてみてください。

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この記事を書いた人

カトリック教会司祭。
愛媛県松山市出身

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