【なんの日?】聖マルコ福音記者

聖マルコ福音記者:不完全な者が担う「開かれた福音」

弟子の「周辺」にいた福音記者

聖マルコ(祝日:4月25日)は、イエスの十二使徒の一人ではありません。彼は使徒たちの「周辺」にいた人物であり、伝承によれば、使徒ペトロの通訳を務め、ペトロが宣教で語った主の言葉と業をまとめたのが「マルコによる福音書」であるとされています。

この福音書は四福音書の中で最も短く、写実的で、切迫した語り口が特徴です。マルコは単なる記録者ではなく、膨大な証言から何を選び、どう配置するかという編集作業を通じ、独自の神学的意図を打ち出しました。

挫折と和解:失敗を隠さない教会の現実

マルコの生涯において特筆すべきは、彼の「失敗」です。彼はパウロとバルナバの宣教旅行に同行しながら、途中で一行を離脱してしまいます(使徒言行録13:13)。このことが原因で、後にパウロとバルナバが激しく対立するほど、彼の離脱は重い波紋を呼びました。

しかし、教会はこの失態を隠しませんでした。特筆すべきは、晩年のパウロが「マルコを連れて来なさい。彼はわたしの助けとして役に立つからです(テモテ二 4:11)」と記している点です。マルコは一度信頼を失いながらも、再び受け入れられ、不可欠な存在となりました。彼は、過去の失敗によって人間の価値を決定しない、教会の「和解の力」を体現しているのです。

容赦なき弟子像と「読者への問い」

自身の弱さを知るマルコが描く弟子たちの姿は、極めて人間的で、時には無理解な存在として描かれます。他の福音書に比べても、マルコ福音書における弟子たちの「鈍さ」や「恐れ」の描写は容赦がありません。

これは歴史的な事実の再現以上に、読者に対する強烈な働きかけです。弟子たちを信仰の英雄として祭り上げるのではなく、あえて不安定な存在として描くことで、マルコは読者に「あなたはこの弟子たちの中の誰なのか」と問いかけ、安全な観客席から引きずり出すのです。

未完の結末:開かれた物語

マルコ福音書の最古の写本において、物語は「女性たちが恐れ、震えながら墓から逃げ去り、誰にも何も言わなかった」という場面で唐突に終わっています(16:8)。いわゆる「美しい大団円」はありません。

しかし、この唐突な終止符は「欠落」ではなく、読者への「バトンタッチ」です。語られなかった福音が、今度は読者自身の口によって語られることを前提としています。福音は完結したテキストではなく、今ここを生きる者が続きを担うべき「継続中の出来事」なのです。

翼のある獅子:荒野を駆ける切迫感

教会の伝承において、マルコの象徴は「翼のある獅子」です。これは福音書の冒頭が「荒野で叫ぶ者の声」から始まることに由来します。

獅子は王としての威厳を、翼はそれが固定されず、瞬時に他者へと運ばれていく機動力。マルコが多用した「すぐに(euthus)」という言葉の通り、彼の福音は過去の記録にとどまらず、時間を圧縮して「今ここで起こっている事態」として迫ってきます。

6. 「第二線の人物」が果たす逆転劇

マルコは、教会の中心的な指導者ではありませんでした。しかし、彼という「第二線の人物」が記した言葉が、後の教会全体にとって決定的な土台となりました。

マルコの祝日は、整った人格や優れた才能ではなく、不完全さを抱え、一度は挫折した者が、その弱さごと神に用いられるという「逆転の福音」を再確認する日です。マルコの物語が途中で終わっているように、その続きを語り継ぐ責任は、今を生きる私たち一人ひとりに委ねられています。

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この記事を書いた人

カトリック教会司祭。
愛媛県松山市出身

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