1. 「主の昇天」とは
主の昇天は、復活したイエス・キリストがそれから40日目に、弟子たちの見守る前で体と魂を伴ったまま(肉体を持った状態で)天に昇り、神(御父)の右の座に着いたことを記念するキリスト教の重要な大祝日(祭日)です。
典礼色は、喜びや清らかさを表す「白」が用いられます。
聖書における根拠と舞台
この出来事は『マルコによる福音書』や『ルカによる福音書』、そして『使徒言行録』に詳しく記されています。伝統的に、昇天の舞台はエルサレムの旧市街から東に少し離れた「オリーブ山」とされており、現在その場所にある昇天教会には、キリストが天に昇る直前に残したとされる足跡の刻まれた岩が安置されています。
2. 神学的な意味:地上の使命の完成
主の昇天は、単にイエスが地上からいなくなったというイベントではなく、キリストの地上における救いの使命が「完成」したことを意味しています。
人性の完成と天への引き上げ
神の子であるイエスは、人間として生まれ(受肉)、人間の喜びや苦しみ、そして十字架の死と復活を完全に経験されました。昇天によって、イエスは「人間としての性質(人性)」を完全に持ったまま神の栄光(至福直観)へと戻られました。 これは、「人間が神の国に入り、永遠の命にあずかる道が完全に開かれた」という、人類にとっての決定的な希望の瞬間なのです。
「昇天」と聖母マリアの「被昇天」の違い
キリスト教において、体と魂を伴って天の栄光に入ったのはイエスと聖母マリアのみとされていますが、その意味合いは異なります。
- イエスの昇天(Ascension): イエスは神としての自らの権威と力によって、能動的に天へと昇られました。
- 聖母マリアの被昇天(Assumption): マリアは罪のない存在として、自らの力ではなく神の力によって受動的に天へと「上げられ」ました。人間の中では、マリアがキリストの栄光に最初にあずかった存在です。
3. 未来への希望:再臨と肉体の復活
『使徒言行録』では、天を見つめ立ち尽くす弟子たちの前に白い衣を着た二人の人が現れ、「天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」と告げます。
この出来事は、世界の終わりにキリストが再び来られること(再臨)の約束でもあります。その時、信仰を全うしたすべての人が肉体を持って復活し、神の前に立って永遠の幸福を経験することになります。つまり、イエスが昇天によって先に見せた姿は、私たちキリスト者が将来たどり着くゴールそのものなのです。
4. 祭日の歴史と現代の数え方
主の昇天は、教会の初期(使徒の時代)から毎年祝われてきた非常に歴史のある祭日です。4世紀のニカイア公会議で復活祭(イースター)の日付の計算方法が定められた際、聖書の記述通り「復活祭の40日後」とされたため、必ず木曜日に迎えることになりました。
しかし現代では、平日の典礼に参列できない多くの信者が共に祝えるよう、多くの地域(カトリックの管区など)において、木曜日からその直後の日曜日(復活節第7日曜日)に日付を移して盛大に祝われています。
結びにかえて
主の昇天は、人間の理性や知識だけで簡単に理解できるものではなく、信仰における「大いなる神秘」です。
イエスが神であり人間であるという深遠な真理、そして私たちをその栄光へと招いているという計り知れない愛。それらを祈りの中で深く思い巡らし、いつか私たちもキリストと共に新しい命へと上げられる希望を新しくするキリスト教の核心的な祭日です。
