洗礼者ヨハネの誕生とその神秘
洗礼者ヨハネが生まれた時代、人々は子どもができないことを神の不興や罪に対する罰のしるしと考えるのが一般的でした。もちろん、私たちはそれが正しくないことを知っています。しかし聖書を読むと、長年子どもを求めて祈り続けた夫婦から、しばしば偉大な指導者が生まれていることに気づかされます。
- サラはイサクを産むまで不妊でした。
- リベカはエサウとヤコブを産むまで不妊でした。
- ラケルはヨセフを産むまで不妊でした。
- マノアの妻はサムソンを産むまで、ハンナもまたサムエルを産むまで不妊でした。
今日の祭日は、歴史上もっとも偉大な誕生の一つを祝うものです。後にイエスご自身が、「女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった」と語られているほどです(マタイ11・11)。
告げられた大いなる約束
エリサベトがヨハネを身ごもった時、彼女と夫ザカリアはすでに高齢でした。ヨハネ誕生の知らせは、ザカリアが祭司として神殿で香を献げるという大きな栄誉を与えられた時にもたらされました。神殿の聖所にいた彼の前に、大天使ガブリエルが現れたのです。
ガブリエルは、エリサベトが男の子を産むだけではなく、その子が主の前に偉大な者となり、母の胎内にいる時から聖霊に満たされ、多くのイスラエルの人々を神へ立ち返らせ、エリヤの霊と力をもって主に先立ち、その道を整える者となると告げました。
これは単なる誕生の知らせではありませんでした。あまりにも大きな約束であり、信じ難い知らせだったのです。長年子どもを持てなかったザカリアにとって、それは喜びであると同時に驚愕でもありました。実際、彼はその知らせを信じることができず、その結果、ヨハネが生まれるまで口がきけなくなってしまいました。
イエスの使命との深い結びつき
その後、同じ大天使ガブリエルはナザレのマリアのもとへ遣わされます。聖霊によって救い主を身ごもるという知らせを受けたマリアに対し、ガブリエルはこう告げました。
「あなたの親類エリサベトも、年をとってから男の子を宿しています。神にできないことは何一つありません」(ルカ1・36-37)。
この言葉は、父なる神の救いの計画の中で、ヨハネの使命がイエスの使命と深く結びついていることを示しています。
マリアは急いでエリサベトのもとを訪れます。その挨拶の声を聞いた時、エリサベトの胎内のヨハネは喜びに躍りました。聖トマス・アクィナスは、この時ヨハネが母の胎内で聖化されたと教えています。つまり、罪から清められ、主の道を準備する使命に備えられたのです。
さらに聖トマスは、この時ヨハネが特別な神の力によって理性と意志を早くから働かせ、胎内にいながら主を認識し、信じ、受け入れたのではないかとさえ推測しています。こうして見ると、ヨハネの誕生は神秘と驚きと畏れに満ちた出来事であったことが分かります。
聖ルカは当時の人々の反応を次のように伝えています。
「近所の人々は皆畏れを抱き、ユダヤの山里一帯でこの出来事が語り合われた。そして聞いた人々は皆心に留め、『いったいこの子は何者になるのだろうか』と言った。主の御手がこの子と共にあったからである」(ルカ1・65-66)。
教会はクリスマスを除けば、洗礼者ヨハネだけにその誕生を祭日ではなく、典礼(祭儀)上もっとも高い「祭(Solemnity)」として祝う栄誉を与えています。聖母マリアの誕生は「祝日」で祝われますが、その「無原罪の御宿り」が「祭」として記念されます。ヨハネの誕生が「祭」として祝われることは、彼の使命の特別な重要性を示しているのです。
今日、私たちが黙想する二つの視点
今日、私たちはヨハネの誕生を二つの視点から黙想したいと思います。
- 第一に、天上の永遠の視点からです。 天使たちと聖人たちは、この偉大な出来事とヨハネが救いの歴史の中で果たした役割を、永遠に神に感謝し続けます。
- 第二に、人間的な視点からです。 エリサベトとザカリアの驚きと喜びに心を向けてみたいと思います。彼らは実在した夫婦であり、本当に父と母になった人々でした。どれほど偉大な使命が語られようとも、ヨハネは彼らにとって自分たちの子どもだったのです。ちょうどイエスがマリアの子であったように。
救いの歴史を正しく理解するためには、この二つの視点を結び合わせる必要があります。人間的なものと神的なもの、超越的なものと身近なもの、個人的なものと超自然的なものを共に見るのです。
そうする時、私たちはこれらの栄光ある出来事をより深く理解し、それに参与し、そして信じることができます。これらの出来事こそが、信仰を持つすべての人のために、天の門を開いてくださったのです。
