2026年春 黙想講話:出向いていく教会 4/4

第4回 Outside(外へ)

Missio Dei —— 先回りしておられる神

目次

四つの方向が一つになります

この黙想会では、四つの方向に沿って歩んできました。
最初に「背後」を振り返りました。そこには、私たちを見張る裁判官ではなく、帰る場所となる父がおられました。私たちの安全基地です。

次に「前」を見ました。信仰とは、恐れがなくなることではなく、恐れながらも主と同じ舟に乗って向こう岸へ渡ることでした。

さらに「内側」を見ました。私たちは壊れやすい土の器ですが、そのひび割れの中にこそ神の光が宿り、そこから恵みが世界へと流れていきます。

そして最後に、私たちの視線は「外」へ向かいます。信仰は、教会の中だけで完結するものではありません。神の恵みは、日常の世界へと広がっていきます。

外の世界は簡単ではありません

しかし正直に言えば、外の世界は決して穏やかな場所ではありません。私たちは毎日、さまざまな緊張や衝突の中で生きています。

職場では競争があり、評価があり、時には理不尽な要求もあります。家庭の中でも、人間関係がうまくいかないことがあります。社会を見渡せば、戦争や貧困、孤独や不安といった問題が溢れています。

このような現実を見ると、教会の中の静かな空間の方が安心に感じられます。できることなら、この平和な場所に留まり続けたいと思うこともあるでしょう。

しかしイエスは弟子たちに言われました。「わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り込むようなものである。」

この言葉は非常に率直です。イエスは外の世界が安全だとは言いません。そこには危険もあり、敵意もあり、傷つく可能性もあります。

それでもイエスは弟子たちを遣わしました。

羊として遣わされるということ

ここで重要なのは、イエスが弟子たちを「羊」として遣わしたということです。イエスは彼らに狼になるよう命じませんでした。強く武装し、相手よりも力を持てとも言いませんでした。

羊のままで行きなさいと言われました。

羊は弱い動物です。攻撃する牙もありません。しかし羊には、もう一つの特徴があります。それは群れを作り、互いに寄り添って生きるということです。

キリスト教の使命は、力で世界を変えることではありません。愛と平和をもって世界に関わることです。

暴力に対して暴力で応えれば、世界はさらに傷つくだけです。争いの連鎖は止まりません。だからこそイエスは、羊として生きる道を示しました。

「平和の子」を見つける

ルカによる福音書の中で、イエスは弟子たちにこう言われました。どこかの家に入ったら、まず「この家に平和があるように」と言いなさい。そして平和の子がそこにいるなら、その平和はそこに留まる。

ここで言われている「平和の子」とは、平和を受け入れる人のことです。

世界には敵意や無関心もありますが、同時に平和を求めている人もいます。苦しみの中で誰かの優しい言葉を待っている人がいます。孤独の中で誰かの理解を求めている人がいます。

その人たちは、必ずしも信仰を持っている人とは限りません。むしろ、教会とは無縁に見える場所にいることも多いでしょう。

しかしイエスは言われます。そのような人が必ずいる、と。

宣教とは、大勢の人を説得することではありません。神がすでに働いておられる場所を見つけることです。

神の宣教(Missio Dei)

ここで一つ大切な考え方があります。「Missio Dei」、神の宣教という言葉です。

これは、宣教とは人間が始めた活動ではなく、神ご自身の働きであるという考え方です。神はすでにこの世界で働いておられます。

私たちはしばしば、「自分が神のために何かをしなければならない」と考えます。自分が頑張って福音を伝えなければならない、自分が世界を変えなければならない、と。

しかし聖書の視点は少し違います。神はすでに働いておられます。私たちは、その働きに参加するだけなのです。

神は教会の中だけにおられるのではありません。職場の中にも、家庭の中にも、病院にも、学校にも、街の中にもおられます。

私たちが日常の場所に戻るとき、神はすでにそこにおられます。

日常の中にいる神

想像してみてください。明日あなたが戻る場所を。

職場のデスク。学校の教室。家庭の食卓。満員電車の車内。病院の待合室。スーパーのレジ。

一見すると、ごく普通の風景です。しかしその場所にも神はおられます。神は教会の建物の中だけに住んでいる方ではありません。

誰かが孤独を感じている場所に神はおられます。誰かが疲れ切っている場所に神はおられます。誰かが助けを必要としている場所に神はおられます。

そしてその場所に、私たちも遣わされます。

小さな平和の種

宣教は、大きなことから始まる必要はありません。特別な能力も必要ありません。

イエスは弟子たちに、ただ一つの言葉を教えました。「この家に平和があるように。」

それは非常にシンプルな言葉です。しかしその言葉は、人の心を開く力を持っています。

優しい言葉をかけること。困っている人に気づくこと。誰かの話を静かに聞くこと。そのような小さな行動の中で、神の平和が広がっていきます。

私たちは世界を一度に変えることはできません。しかし一人の人の心に平和を届けることはできます。

三位一体の神と共に

私たちは一人で外へ出るのではありません。

背後には、私たちを見守る父がおられます。横には、私たちと共に歩くキリストがおられます。そして内側には、私たちを導く聖霊がおられます。

父、子、聖霊。三位一体の神が、私たちの歩みを支えています。

だから恐れる必要はありません。私たちは弱い羊かもしれません。しかしその弱さの中で、神は働いてくださいます。

信仰は、教会の中で終わるものではありません。そこから始まります。

私たちはそれぞれの場所へ戻ります。家庭へ、職場へ、学校へ、地域へ。

そしてその日常の中で、小さな平和の種を蒔きながら歩んでいきます。神がすでに働いておられるその場所で、神の働きに静かに参加していくのです。

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この記事を書いた人

カトリック教会司祭。
愛媛県松山市出身

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