復活節第六主日

愛と掟の逆転:条件ではなく「結果」としての従順

イエスは「愛しているなら、わたしの掟を守る」と語ります。現代の感覚では「愛しているなら従え」という言葉は圧迫感を与えかねませんが、ヨハネ福音書においてこの関係は逆転しています。

  • 愛が先にある: イエスは「従えば愛してやる」という条件を提示しているわけではありません。
  • 「守る(terein)」の真意: この言葉は、単なる規則遵守ではなく「大切に保持する」「失わないように抱きしめる」という意味を持ちます。
  • 内住の始まり: 掟を守ることとは、情報を管理することではなく、イエスの言葉を自分の内側に住まわせること。つまり、信仰とは「相互の宿り合い」という出来事なのです。

孤児にしないという宣言:法的・社会的保護の約束

弟子たちが直面していたのは、イエスがいなくなるという圧倒的な不安定さでした。その中で語られる「あなたがたを孤児にはしておかない」という言葉は、極めて強力な意味を持ちます。

  • 孤児の意味: 当時、孤児とは単に親がいないだけでなく、法的・社会的な保護者を失い、社会的な支えをすべて奪われた存在を指しました。
  • 放置されない安心: 「わたしが見えなくなっても、あなたがたが世界の中で見捨てられた存在になることはない」という強い連帯の宣言です。

聖霊(パラクレートス):苦難を消す魔法ではなく「隣に立つ者」

イエスが約束したのは、すべての問題が解決する魔法ではなく、「別の弁護者(パラクレートス)」でした。

  • 法廷の支援者: パラクレートスとは、法廷で隣に立ち、共に戦う支援者を意味します。
  • 共にある存在: 聖霊は苦しみを消し去るのではなく、理解されない世界の中で、なおも私たちの隣に立ち続ける存在として送られます。

「見る」ことの質:肉眼を超えた関係性の認識

ヨハネ共同体は、ユダヤ教会堂から排除され、社会的孤立の中にありました。その中でイエスは「あなたがたはわたしを見る」と告げます。

  • 関係の中の認識: ここで言う「見る」とは、単に肉眼で捉えることではなく、愛の関係においてその存在を確信する(認識する)ことを指します。
  • 見えないものの価値: 成果や数字、効率といった「見えるもの」に支配される現代において、ヨハネは「愛や聖霊といった、測定できないが見えないものこそが人を活かす」という逆説を提示しています。

結論:救いとは「神の命との相互内住」

ヨハネ神学の核心は、神と人の一方的な上下関係ではなく、「互いの内に住み合う関係」にあります。

  • 天国への移住ではない救い: 救いとは、死後に遠い天国へ行くことではなく、今この瞬間に神の命が人間の内側に入り込み、共に生き始めることです。
  • 信仰のあり方: 神を外側から眺めるのではなく、キリストの内に留まり、キリストを自らの中に宿すこと。

私たちは、目に見える安心だけを追い求めるのではなく、見えないけれども確かに共におられる方の内に留まることで、決して「孤児」ではない歩みを進めていくことができるのです。

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この記事を書いた人

カトリック教会司祭。
愛媛県松山市出身

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